弥仙山ガイド
 綾部市と舞鶴市の境にある。標高664メートル。「丹波富士」とも呼ばれ丹波の国の霊山としても有名であった。

推古天皇の白鳳年間・天武天皇大宝年間、役の行者小角が入山修行の道場古跡、僧の行基は入山の事跡あり。又、上杉施福寺、西照寺、口上林十根、東照寺等の開基は、弥仙山を奥の院として建立したるものにして、金峰山には釈迦・文殊・普賢の三尊を奉安し、金峰山大権現と尊称し女人禁制であった。この時代、登山者は数回の川水禊をなし、白衣を着し、峰伝いに登山する者絶えること無しという。参拝する道は、丹波方面より、山家村字山入、即ち、弥仙山の山入にて、次に、東照寺・西照寺の仁王門は、綾部味方にあり、今に、仁王田とてその古跡を残し、それより登山道筋に宿坊・猿取寺・奥久保寺等の古跡があり。丹後方面よりは、池内岸谷よりの道筋には堂寺・蜂覆坊・鳥居の在りし所を鳥居越え・塔の在りし所を塔の尾・御子が担うに御子が池の石垣があり、池内下村布敷きよりの登山道には糸覆坊・高野寺向坊の古跡が確然と残るのを見れば、その時代の隆盛なりしことを考証せられる。然るに、戦国時代、天正年間・明智光秀が丹波の国攻略の際、僧徒命に服せず、光秀怒り、遂に社殿各宿坊を悉く焼き払えるを以って、一時廃山の姿となりしに、慶長17年壬子の年、村民相謀り石の唐戸に仮祭祀し、宝永5年乙亥の年、今の神殿に奉祀したが、明治5年、神仏混肴相成らずとの制止により、当山の守護神として祭祀ありし木花咲耶媛命を復祭して今日に及び、大正9年、その筋の認可を得て崇敬講社を組織し、区民一同お守りしています。そして、その祭日は5月3日として、山頂にて祭礼が行われます。尚、近年大本さんが4月28日に開祖出口なお様に由来してお参りされるようになりました。(この文献は昭和8年に発行の於與岐区史による)                 「水分神社」の「奉納箱」所収 滝花五郎氏文責の資料部分転載

下図中の現在地は於与岐町大又